ブレゲ「トラディション 7035」

時を告げ、機構全体を露わに見せる建築的なフェイスが250年前から続くブレゲの革新的な技術とデザインを伝えます。

スウォッチグループジャパン株式会社 ブレゲ事業本部のプレスリリース

250周年に合わせてブレゲは独自の合金、ブレゲゴールドを発表しました。クラッシクコレクションの「スースクリプション 2025」にまず取り入れられたブレゲゴールドが、今回世界限定250本で展開される「トラディション7035」のケースに採用されます。暖かい色調のゴールドは、ムーブメントの構造全体を強調し、ブルーの半透明グラン・フー エナメルで彩られたギヨシェ彫り文字盤に備わる時針と分針の表示や、10時と11時の間に設けられたレトログラードセコンドを際立てています。

アブラアン-ルイ・ブレゲ、国際的ネットワークの誕生

アブラアン-ルイ・ブレゲは、技術革新はもとより、世の中の情勢にも絶えず注意を向けていました。それによって、彼はしだいに数が増え国際色も豊かになる顧客が時計をどのように考えているかをいつも把握していました。少量の時計をシリーズ生産したいという願いと同様に、1796年ブレゲが閃いたのは「スースクリプション ウォッチ」のプロジェクトです。それも、針が1本しかない実に簡素な時計でした。「スースクリプション」とは予約販売のことを指し、顧客が広告パンフレットを参照して時計を選び、注文の際に価格の4分の1を前払いする仕組みです。ブレゲが生み出したこのような広告パンフレットもまた、時計界で前例のないものでした。1799年にブレゲは、「スースクリプション ウォッチ」を元に、ケースの外に設けられた針とマーカーに触れることで時刻がわかる「モントレ・ア・タクト」を導入しました。さらにスースクリプションウォッチで使用されたのと同じキャリバーを使用し、時には小さなダイヤルも追加していました。」

「ブレゲは、創業から今日までビジュアル・アイデンティティを持ち続ける

オートオルロジュリー(高級時計製造)メゾンのひとつです」

CEO グレゴリー・キスリング

まったくシンプルな外観をもって時を告げる時計、「スースクリプション ウォッチ」と「モントレ・ア・タクト」の2つから想を得て2005年に誕生した「トラディション」コレクションは、輪列やブリッジを露わにして、ムーブメントをミニチュアの傑作に仕立てた独特の建築構造が特徴です。このレイアウトは、アブラアン-ルイ・ブレゲが作った時計からの着想と容易に判別でき、時計職人がケースを開けた際に見ることが可能な技術的機構を同じく眺めることができます。

 

独自のノウハウに敬意を表した「トラディション 7035」

ブレゲ250周年を記念して特別に考案された「トラディション 7035」の新たなバリエーションは、コレクションの幾何学デザインを忠実に守りながら、技術やデザインに関する独自のノウハウを結集して、入念な仕上げが施されています。

 

ブレゲゴールドとブレゲ・ブルー:メゾンのコードを成す2つのシグネチャー

「トラディション」コレクションは、「メゾン」を語る2つのしるし、すなわちブレゲゴールドとブレゲ・ブルーを採用しました。今年、早くも「クラシック スースクリプション 2025」に用いられたばかりのブレゲゴールドは、ゴールド、シルバー、コッパー、パラジウムを組み合わせたゴールド合金です。この合金は38mmのケースのみならず、グルネイユ(ショットブラスト)仕上げの地板やグルネイユ仕上げとサテン仕上げを組み合わせたブリッジにも用いられています。これは「トラディション」コレクションでは初の仕様です。グレーの歯車やその他のパーツもブレゲゴールドの輝きをいっそう引き立てています。ブレゲゴールドはまた、この新しいアニバーサリー・モデルでブリッジに初めて採用された繊細なサテン仕上げに注目させる点でも適しています。

このモデルの際立った特徴は、ブレゲ・ブルーで輝く精緻な手彫りギヨシェ仕上げのダイヤルです。選ばれたモチーフは、「ケ・ド・ロルロージュ」模様です。この美しいギヨシェ彫り文字盤もまた、半透明のグラン・フー エナメルでブルーに彩られ、レトログラードセコンドのブルースティール針やネジにも同じく見られます。明るい色のブレゲ数字と百合を象ったミニッツマーカー、4時位置のシリアルナンバーは、輪を成して調和しながら、ブルー文字盤からくっきり浮かび上がっています。

現代的なギヨシェ彫り模様「ケ・ド・ロルロージュ」

文字盤の各表示を区切って見やすくするための装飾として用いられるギヨシェ彫りは芸術そのものであり、ブレゲならではの専門技術になりました。実際にブレゲは、ギヨシェ彫りに関する最大規模の工房を構えるメゾンです。入念に修復された年代物のギヨシェ彫り機は、クル・ド・パリのようなクラシカルなモチーフから、「ケ・ド・ロルロージュ」のような今までにない新しいタイプのモチーフまで、さまざまな模様を描き出すことができ、この「トラディション」の新しいモデルの文字盤にも用いられています。ギヨシェ彫りによる微細なモチーフに表現されているのは、枝分かれして流れるセーヌ河を空から見下ろした様子です。セーヌ河はまさに、アブラアン-ルイ・ブレゲがかつて工房を構えていたシテ島やサン-ルイ島を囲みながら、パリ中心部を流れています。この新しいギヨシェ彫り模様の精緻な線は、18世紀に市街を細部まで鳥瞰して作られたパリのテュルゴー地図から着想しました。これは、当時としては極めて正確かつ具体的な地図でした。というのも、ほぼ全部の建造物が詳細に描かれていたからです。

天才時計師を称える三日月型ローター

「トラディション 7035」の新作の裏面に広がるゴールドの景色も時計の表側と同様に魅力的です。魅力を一段と強調するのは、グルネイユ(ショットブラスト)仕上げの地板や、グルネイユ仕上げとサテン仕上げによるブリッジの上で回転するローターです。縦にブラッシュ仕上げを施したプラチナ製のローターは、アブラアン-ルイ・ブレゲが考案した自動巻ローターを想起させます。ブレゲは、ギヨシェ彫りの場合とまったく同様に、時計製造にプラチナを初めて取り入れた人物でした。現代のローターは大半が半円形ですが、それとはかけ離れた形をしたこのローターは、時計の巨匠ブレゲにとって初の発明品として知られ、本人の言葉で「ペルペチュエル」と呼んだ自動巻時計の巻き上げ効率を最適化するために考案されました。新作のローターも厚みがあり、三日月形をしています。数多くの時計に接してきた目利きなら、左上方に「PT950」と控え目に刻まれていることに気付くでしょう。


「トラディション 7035」関連年表

1775 :  アブラアン-ルイ・ブレゲがパリのシテ島にあるケ・ド・ロルロージュに自身の工房を設立

1780 :  「ペルペチュエル」と呼ばれる初の自動巻時計を発表

1783 :  「ブレゲ針」として知られる先端に穴が開いたモチーフを配した針と「ブレゲ数字」として知られるアラビア数字をデザイン

1786 :   初のギヨシェ彫りの文字盤

1790 :  「パラシュート」耐衝撃機構の発明

1793 :   フランス革命の最中、アブラアン-ルイ・ブレゲがスイスに一時的に逃避

1795 :    アブラアン-ルイ・ブレゲがパリに戻る。シークレット・サインを採用

1796 :  翌年広告パンフレットを活用して予約を募ることになる新しい時計

         「スースクリプション ウォッチ」の初モデルを販売。

1799 :    初の「モントレ・ア・タクト」を販売

1810 :    初の腕時計を製作

1830 :    初の巻き上げキー不要の時計を製作

1933 :    1970年までブランドの拠点となったヴァンドーム広場28番地に移転

1976 :   ブレゲの工房をスイスのジュウ渓谷に構える。以降の全製品をスイスで製造

1999 :   スウォッチグループがブレゲを買収

2005 :  「トラディション」コレクション発表

2018 :    ニヴァクロン™の導入

2025 :    ブレゲ創業250周年記念。ブレゲゴールドの導入。250周年記念モデル発表

CEO グレゴリー・キスリングのコメント

この新しいモデルの気に入っているところは?

私にとって何より魅力的なのは、他にはない「トラディション」コレクションの個性です。それはムーブメントの核心部まで見渡すことができ、そこにブレゲの精巧な時計に精彩をもたらす複雑さと洗練が直接読み取れるからです。この大胆な構造は、時計職人が見ている光景に非常に似ています。時計を組み立てる際に目に入る姿を忠実に再現しているのですから。

私にとってブレゲのDNAとは、離れていても個性が判別できるような、即座にそれと見分けられる強烈なビジュアル・アイデンティに他なりません。250周年記念の第2弾には、このDNAが一段と完璧に宿っています。ブレゲの歴史遺産にまさしく敬意を表したこのモデルの特徴は、ブレゲゴールドの採用です。文字盤やその下の地板に用いられたこのゴールドは時計全体に壮麗なイメージとまたとない特別感をもたらしています。また同時に重要なのは、「スースクリプション ウォッチ」の系譜に連なる点です。なぜなら、「トラディション」は、「スースクリプション」の「モントレ・ア・タクト」がベースになっているからです。

半透明エナメルのギヨシェ彫り文字盤は、ブレゲでは初めてですか?

私たちはすでに文字盤を半透明エナメルで仕上げたトゥールビヨンを発表しており、半透明エナメル自体は初めてではありませんが、今年発表された新しいギヨシェ模様「ケ・ド・ロルロージュ」との融合は初めてです。この新たな組み合わせは、ブランド固有のコードとなっている2つの素晴らしい職人技に改めて光を当て、何世紀も受け継がれる専門技術を讃えるものになっています。

ゴールド針を用いるのはよくあることなのでしょうか?

私たちは創業者ブレゲにならい、それが可能な場合は貴金属を使うように努めています。アブラアン-ルイ・ブレゲ自身は、最も名高い数々の時計にゴールド針を用いています。私たちも、いくつか現在のモデルでゴールドを採用しています。アニバーサリー・モデルでは、メゾンの250周年を記念して特別に開発されたブレゲゴールドに対してとりわけ敬意を表したいと思いました。もちろん美的デザインの本物のシグネチャーであるブルースティール針に対する愛着はもとより変わりはありませんが、デザインや視認性を強調するためにこの種の選択は常に行われるのです。

ローターに用いられたプラチナがこのモデルで興味深いのはなぜでしょうか?

アブラアン-ルイ・ブレゲは、先見の明を持ち、絶えず限界を乗り越えた時計師のひとりでした。革新的な考えを常に抱いていた彼は、素材の選択も含め、迷わず実験を試みました。時計製造の分野にプラチナを初めて取り入れたのもブレゲでした。その一例として知られるのが「マリー・アントワネット」と呼ばれる有名な懐中時計です。密度が高く、希少な素材のプラチナには、ローターの運動効率を大いに高めるという利点があります。「トラディション 7037」では、創業者の大胆な発想とパイオニア精神に敬意を表してプラチナ製ローターを再び取り入れることにしました。それだけでなく、このローターが「トラディション」コレクションのデザインにおいて代表的な要素を担っていることも理由です。

メゾン・ブレゲにとって「トラディション」コレクションとは?

「トラディション」がメゾンの代表的なラインのひとつになってから20年が経ちました。2005年に発表された時、「トラディション」は時計製造の世界に革命を起こしました。ムーブメントの地板や構成部品をあえて露わにする者など、はたしてブレゲ以外にいたでしょうか?

ブレゲの大胆な試みが見過ごされることはありませんでした。なぜなら、それ以来いくつものメゾンがこれに大きく影響されているからです。創業から250周年を迎えたブレゲは、革新を続け、そして影響を与え続けているのです。

副社長・パトリモニー部門責任者エマニュエル・ブレゲのコメント

アブラアン-ルイ・ブレゲは、ひと目で見分けられる新しいスタイルをなぜ、どのようにして生み出したのでしょうか?

創業者の時代を振り返ってみましょう。当時の時計はしばしば装飾過多でした。精巧な高級時計の威信が装飾の量や豪華さにあるかのように判断されたていたのです。実際、時計の世界は、非常に重々しいバロック様式に留まっていました。間違いなくそれが安易だったからです。これとは反対にアブラアン-ルイ・ブレゲは、創業当時から装飾をすべて精査して、余計なものの削除に努めます。とりわけ、時計の表示をより読み取りやすくしようとしたのです。したがって、彼は徹底的な簡素化を選び、特にホワイトエナメル文字盤でそれを実行しました。やがて誰もが「ブレゲ数字」と呼ぶ美しい数字を配した文字盤以上に純粋で読みやすいものなどあるでしょうか?

そしてギヨシェ彫りは?

ギヨシェ彫りも続いてさっそく取り入れました。ブレゲは、すでに存在するこの技法を時計の文字盤に施そうと考えます。ブレゲの目には、ギヨシェ彫りにあらゆる長所があるように見えました。模様のバリエーションを使って最適な視認性が得られること、マットでシルキーな質感をもたらし、反射を排除できる点などです。最後に加えるなら、それは巨匠にとって不可欠な基準、すなわち品の良さという要件に応えるものなのでした。ブレゲでは品の良さと洗練が機能の向上に役立てられるのです。アブラアン-ルイ・ブレゲの天才は、当時の周囲の人々が語っていたように、まさに美と用を融合したところにあります。同じことは1780年代に彼がデザインした有名な「ブレゲ針」にもあてはまるでしょう。ブレゲの時計は、さまざまなカレンダー、パワーリザーブ、均時差、ムーンフェイズ、温度計など、文字盤に多くの異なる表示の情報があふれていても、常に読み取りやすくなっていたのです。

ローターの特殊な形状について言えることは何ですか?

ブレゲの作品に初めて登場するこの種のローターは、1780年代のフランス宮廷に知れ渡った「ペルペチュエル」と呼ばれる初の自動巻時計に搭載されていました。代表例は、王妃マリー・アントワネットのために考案された時計「No.160」に見られます。振動する錘は、ムーブメントの巻き上げを確保するために不可欠で、たくさんの部品と数々の特別な複雑機構を結び付けるものでした。それと同時にブレゲは、身体の自然な動きでゼンマイの巻き上げができるようにしたいと望んだのです。ブレゲの自動巻時計は「激しく揺さぶる」ことなどまったく必要なく、ただ自然に持ち歩くだけで十分でした。

プラチナがブレゲに登場したのはいつですか?

アブラアン-ルイ・ブレゲは、創業の1775年から1780年の間にプラチナを導入しました。科学に通じた彼は、当時の時計製造ではまだ使われていなかったこの重金属の傑出した性質を理解し、他に先駆けて用いました。実際プラチナの利用は当時ほとんど普及していませんでした。プラチナの融点は摂氏約1800度と非常に高く、特別な加工機器が必要だったからです。ブレゲはしかし、プラチナが違いを生み、自動巻機構が備わる時計の製造に有効なことを知っていました。こうしてプラチナのローターを斜めに取り付けたブレゲの自動巻機構が誕生しました。続いてブレゲは、プラチナをケースに用いたモデルをいくつか作っていますが、ただしこれは例外的なものでした。

ギヨシェ彫りの新しい模様は、アブラアン-ルイ・ブレゲが工房を構えたシテ島の通りを讃えて「ケ・ド・ロルロージュ」と命名されています。当時この場所を選んだのはなぜでしょう?

創業者ブレゲは、故郷のスイスを出てヴェルサイユやパリで暮らすようになった10年あまりの歳月で一人前の職人になり、勉学も積んでいました。そして、自分の嗜好や望みを実現する時計づくりに着手して、それを発展させるために自らの工房を構えることを決めます。当時のシテ島はパリの中心地であったのと同時に、時計づくりに役立つ職人たちと工芸技術が行き交うまさに交差点でした。界隈にはとりわけ文字盤や金銀細工、エナメルなどの職人、ケース製作者、他にも精巧な高級時計の製造に不可欠な職人たちがいました。このようなシテ島だからこそ、単純にこの場所でなければならなかったです。加えて、この場所は大通りが橋を渡るポンヌフに最も近く、実際そこに行きやすかったのです。ブレゲは居を構えてからの全生活をケ・ド・ロルロージュの建物で送り、最後は建物の全部をブレゲが占めるようになりました。数えきれないほどの人々を迎え入れたのもここでした。

ケ・ド・ロルロージュのブレゲの家は今も存在するのでしょうか?

この大きな建物は今も存在しています。ファサードは2つあり、一方がケ・ド・ロルロージュ、もう一方がドーフィーヌ広場に面していて、19世紀の後半の増築で高さが増しました。建物自体は17世紀の初頭に建造され、かなりの歴史があります。ブレゲ家が4世代に渡ってここで暮らし、多くの主要な発明がここで生まれました。世界で最も並外れた時計の数々もこの建物の中で作られました。続いて、数えきれないほどの科学機器がここで生まれ、作られました。すなわちブレゲ指字電信機、初の鉄道の安全運行システム、光の速度を測る装置などです。また、アントワーヌ・ブレゲ (1851-1882年) と従兄弟のアルフレッド・ニオーデ (1835-1883年) によって、フランス初の電話の実験がこの建物の中の2つの階の間で行われたことをご存知でしょうか。その後、建物を占めたのは、夫人たちによって続いたアブラアン-ルイ・ブレゲの子孫たちです。その中には有名な著述家や政治家もいました。2世紀半も長きに渡り、さまざまな分野でこれほど密度の濃い知的な営みが継続するメゾンはほとんどないでしょう。


ブレゲ ブティック銀座 ☎03-6254-7211
ブレゲ ブティック伊勢丹新宿店 ☎03-3352-1111 大代表
ブレゲ ブティック日本橋三越本店 ☎03-6665-0143
ブレゲ ブティック阪急うめだ本店 ☎06-6313-7863

https://www.breguet.com/jp

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