ビッグジョンのプレスリリース
日本で初めて国産ジーンズを手掛けたジャパニーズジーンズのパイオニア・株式会社ビッグジョン(岡山県倉敷市)が1973年に初めて開発した「純国産ジーンズ」が来年誕生から50周年を迎えます。
世界中で愛される産業に成長した日本のデニム生地とジーンズ。ファッション性はもちろん、高い品質基準を設け、改善を繰り返すことで生まれた繊維業界における最も大きな成功の一つです。
歴史を紐解くとアメリカで産まれたジーンズを単純にコピーするだけでなく、ユーザー目線のきめ細やかな品質改良や「アメカジ」をはじめとする日本独自のファッション文化によって育まれてきました。
1973年にBIG JOHNが最初に世に送り出した純国産ジーンズは来年2023年に誕生50周年を迎えます。
- 純国産ジーンズの歩み
倉敷を拠点としていたクラボウ(当時倉敷紡績)とビッグジョン(当時マルオ被服)両社のコラボレーションにより国産デニムは開発され、純国産ジーンズの製造が始まりました。
旧式織機(参考写真)
当時の日本にはデニムのような厚手の生地を加工する技術がなかった為、製造する機械を作ることから始まりました。一方、日本には元々藍染の文化があり、アメリカ式の染工技術を取り入れることでより高い品質の染め加工が出来るようになっていきます。
広幅織機で織られた生地(参考写真)
当時、デニムには狭い幅の織機のみが使われていましたが、生産効率と、安定した品質管理が望める広幅織機(革新織機)を取り入れました。これ以降、世界では広幅デニムが主流になっていきます。
※ヴィンテージ、セルビッチデニムが注目され始めたのは80年代中頃です。
- 1950年後半 アメ横で売られた中古ジーンズ
日本でジーンズが販売され始めたのは戦後1950年代後半、東京上野のアメ横でした。新品ではなくアメリカから輸入された中古のジーンズ(当時はジーパンと呼ばれた)が殆どでしたが、海外の音楽などから影響を受けた若者達に飛ぶように売れていました。 若者達は穿きつぶれ、 色が落ち、 柔らかくなった中古ジーンズを自分たちでリサイズして着用していました。
- 1960年代前半 国産ジーンズ開発開始
若者を中心に花開いた新しいカルチャーを目の当たりにしたビッグジョン創業者の尾崎小太郎は、より品質の高い日本のジーンズを作りたいと地元岡山に戻り開発にのめり込んでいきます。
BIG JOHN (当時のマルオ被服)の様子
当時国産のデニム生地は存在しておらず、アメリカから生地を輸入して縫製するところからのスタートとなりました。
- 1965年 国産第一号ジーンズ
1965年2月、アメリカからデニム生地(キャントンミルズ社製)50反が日本に初輸入され、日本の職人は、『これはブリキじゃが!』とその厚みと硬さに驚きました。当時の日本の生地は厚いもので4.5オンス~6オンスに対し、輸入されたデニム生地は14.5オンスという、当時類をみない肉厚の生地でした。縫製を試みるものの既存のミシンでは縫う事ができず、ミシンを改造するなどの試行錯誤を繰り返しました。
キャントンミルズ社 ビッグジョン社との会談
国産第一号のジーンズはアメリカからミシン、リベット、ファスナーなどを全て輸入し、組み立てが日本という製品でしたが、日本のジーンズ史に残る大きな一歩でした。
その後、岡山県児島地区をはじめ岡山県・広島県を中心とした備後地区(井原市・笠岡市・福山市・三原市など)
は雨が少ないという気候から綿栽培に適し、紡績・縫製・染色など繊維産業が盛んな土地だった為、その適した風土が、ジーンズ量産化の成功に寄与することになします。
- 1967年 初のジャパニーズジーンズブランド
BIGJOHN(マルオ被服)は国産ジーンズを世に送り出したものの、それらはあくまでもOEM生産(委託者の為に製品を生産すること)でした。
ジーンズ生産の経験を積み重ねていく中で、本場アメリカの製品に負けないジーンズを作りたい、世界一のジーンズを作りたいという想いが芽生え、自社ブランド開発に挑戦していくことになります。
BIG JOHN PROT MODEL
当時の米国ジーンズ最大手ブランドと同じコーンミルズ社の14オンスデニムの輸入に成功し、最初に作ったのがBIG JOHN PROT MODELというモデル。
- 1968年 日本人のためのジーンズ
国内初のジーンズブランド【BIG JOHN】が誕生しファーストモデルM1002を販売。
アメリカからの輸入ジーンズは日本人の体型には合わないものでしたが、制服の縫製業をしていたBIG JOHN(当時マルオ被服)には十分な日本人の体型データがあり、その経験と知識が国産ジーンズの開発に生きることになります。
・日本人のために作られた国産ジーンズ
国産初のジーンズブランド 「 BIG JOHN 」
晴れて国産ジーンズブランドがデビューとなりますが、若者たちはアメ横で購入した履き潰れた、色が落ちた中古ジーンズに慣れていたため、新品の色が濃く、硬いジーンズは受け入れられませんでした。
後にこの経験が、今では当たり前になった「ジーンズのUSED加工」という日本独自の工法が生まれるきっかけになっています。
- 1972年 藍染とアメリカ式染工技術の融合
コーンミルズ社からのデニム輸入と並行して取り組んだのが、国産デニムの開発です。アメリカ製のデニムはキズ物が多く含まれており、品質を重視する日本人のマーケットが納得するものではありませんでした。
BIG JOHNは国産デニムの開発の開発のため、クラボウ(当時倉敷紡績)に依頼し、共同で開発をスタートします。原料の調達から生地を織る織機の開発まで、ゼロから作るデニムの開発は困難を極めました。
日本には藍染の文化がありデニムの製造には適した環境でしたが、デニム最大の特徴である中白(なかじろ)という、糸の中心部が染まらないようにする染色方法の開発には大変苦労し、アメリカ式のロープ式を取り入れることでようやく国産デニムの生産に成功しました。開発開始から1年以上かかったと言われています。
- 1973年 最初の国産デニム【KD-8】
1973年、クラボウ(当時倉敷紡績)と共同で試作を繰り返し国産デニム第一号【KD-8】が誕生しました。品番はクラボウデニムの頭文字「K D」 と付けられ、それは輸入されたデニムに負けない品質の高いものでした。
国産初のデニムを活用した純国産ジーンズ
同年、生地・付属・ブランド・縫製すべて日本というALL JAPAN MODEL 純国産ジーンズロットNO.1002がデビュー、日本のジーンズ史に重要な1ページを刻みます。
アメリカに追いつけという戦後の時代に、世界に通用する高品質なジーンズが産まれた瞬間でした。
純国産ジーンズは飛ぶように売れていきます。日本ジーンズの開発は誰から教わる事なく、職人達の試行錯誤で産まれたもので、その精神は現在にも受け継がれています。
今でも「KD-8」からの派生系で生まれたデニム生地は世界中のブランドで採用されているほどデニム業界に与えるインパクトは大きいものでした。
当時のジーンズ縫製工場
- 2023年 世界中で受け入れられる【KD-8】
国産デニム・純国産ジーンズが誕生し50年を迎えます。
国産デニムの基礎となったクラボウ社の「KD-8」は現在も作り続けており、KD-8を活用した BIG JOHN JEANSも作り続けています。
日本人の実直な気質をシンプルに表現したストレートライン
昨今ではファッション性として表面にムラをあえて作る、ヴィンテージ系ジーンズがフォーカスされていますが、BIG JOHNが品質の高いデニムを生み出さなければこの文化も生まれてこなかったとも言われています。高い品質水準でコントロールすべく、真っ直ぐに努力を続けてきたことが日本のデニム産業における原点なのです。
BIG JOHNは、そのジャパンスピリットをバックポケットのダブルステッチで表現し、そのステッチのように国産ジーンズをこれからも真っすぐ追及していきます。
- 企業情報
〒711-0903
岡山県倉敷市児島田の口4丁目11-31
株式会社ビッグジョン
電話086-477-3800
ウェブ: https://bigjohn.co.jp/
インスグラム: https://www.instagram.com/bigjohnjeans/
フェイスブック : https://www.facebook.com/bigjohn.official/
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