ヴァレンティノ 2027年春夏コレクション ‘アンティ ビブリオテーカ(ANTIBIBLIOTECA) ‘ を発表

ヴァレンティノ ジャパン 株式会社のプレスリリース

メゾン ヴァレンティノ(Maison Valentino)は、2026年10月4日(日)、フランス パリのサント・ジュヌヴィエーヴ図書館にて、クリエイティブ ディレクター アレッサンドロ・ミケーレによる2027年春夏コレクション ‘アンティ ビブリオテーカ(ANTIBIBLIOTECA) ‘ を発表しました。

「作家ウンベルト・エーコは百科全書的な知識と鋭い洞察力があり、それでいて退屈さとは無縁という、稀有な学者のひとりです。彼は3万冊を擁する膨大な個人蔵書の持ち主であり、その書斎を訪れる人々をふたつのタイプに分類していました。ひとつは『エーコ先生、なんとすばらしい書斎をお持ちなのでしょう! この中の一体何冊をお読みになったのですか?』と感嘆の声を上げる人々。そしてもうひとつは、ごく少数ではあるものの、個人蔵書とは自己顕示のための飾りではなく、研究の道具であるということを理解している人々です。読み終えた本は、まだ読んでいない本よりもはるかにその価値は低いもの。書斎とは、財政手段や住宅ローン金利、厳しい不動産市場が許すかぎり多くの『自分が知らないこと』を多く詰め込んでおくべき場所なのです。年を重ねるにつれて知識も蔵書も増えていく一方、それらとともに増えていく棚に並んだ未読の本は、まるで威圧するかのように存在感を増し、あなたを見つめてくるのです。実際、知識が増えれば増えるほど、未読の本は増えていくのです。この未読の本の集合体を『アンチライブラリー(反図書館)』と呼ぶことにしましょう」

(ナシーム・ニコラス・タレブ)

ナシーム・ニコラス・タレブが著書『ブラック・スワン』の中でウンベルト・エーコの蔵書について述べるとき、彼が魅了されたのはエーコがすでに読んだ本ではなく、まだ読まれていない膨大な蔵書だったのです。アンチライブラリーの価値とは、私たちがすでに知っていることではなく、本という目に見えるかたちとなった、まだ知らないことの具体的な存在にあるからです。アンチライブラリーは博識さを誇示するための記念碑ではなく、研究のための道具です。その蔵書のなかでもっとも貴重な部分を占めているのが未読の本であり、それらは常に新たな発見の可能性を開いてくれる、かぎりなく豊かな知的資本のかたちなのです。

このスピリットにおいて、アンチライブラリーは、本を買い求めながらも読まずに積み上げておく日本の「積ん読」という習慣に通じています。一見すると先延ばしのように見える行為も、ここではまったく異なる意味を帯びてきます。未読の本はただ使われていない物ではなく、私たちの知識を超えて広がる世界の豊かさを証明する存在なのです。まだ開かれたことのない一冊一冊は、新しい書物特有の匂いをまといながら、私たちがこれから出会うであろう人生や思想、物語を思い起こさせる存在です。そこには、未来の発見や喜びへの期待が大切にしまわれています。

ファッションについて考えるとき、私はよくこのアンチライブラリーという概念に思いを馳せます。毎シーズン、衣服はそれぞれ異なる運命をたどるために構想され、生み出されます。あるものはショーの舞台をただ一度だけ通り過ぎ、あるものはその束の間の姿を捉えたイメージの中で生き続け、またあるものはワードローブへと収められ、まるで聖遺物のように大切にされながら、ほとんど袖を通されることもないまま時が過ぎてゆきます。こうした衣服は単に「身に纏う」という枠を超え、人々の人生の中に息づくことがあります。その存在は、実際に身体に触れる以前から、まなざしや記憶、あるいはイメージの中にも確かに息づいているのです。

それにもかかわらず、その価値を単に「役に立つかどうか」という観点だけで測るのはあまりに短絡的といえるでしょう。ウンベルト・エーコの書斎の大部分を占める未読の本のように、これらの衣服は機能性や消費の論理を超越した領域に属しているかのようです。それらは、実際にすべてが実現されることがなくとも、想像の領域を広げるための豊かな貯蔵庫のような存在であり、そこにはフォルムや美的感覚、シルエット、身体のあり方といった無数の可能性が蓄えられています。

このようなことから、ショーは視覚的なアンチライブラリーとして捉えることができるでしょう。それは、実現されないままであっても独自の密度を帯びる、表現の可能性のアーカイブなのです。哲学者ジョルジョ・アガンベンは、「潜在性」の価値は実現されることだけにあるのではないと語っています。潜在性とは、何かに姿を変えて消えてしまう前の、豊かな選択肢を内包した状態そのものです。実現されなくてもなお力を持ち続け、未来への想像を支えるものなのです。潜在性が実現されることによって完全に使い果たされてしまうのなら、それは潜在性としての本来の性質を失ってしまうことになるのです。

ファッションショーで見られる衣服の多くは、まさに潜在性の領域に属しています。それらの意味は使用価値という定義だけでは語りつくせず、むしろそれらが何を思い描くことを可能にするかという点にまで及びます。こうした視点から見るなら、ファッションは消費される今だけでなく、現実を超えて広がる可能性の世界にも作用しているのです。

開かれることなく棚に置かれた本と同様に、私たちが決して身につけることのない服でさえ、私たちが送ることができたかもしれない人生について語りかけてきます。それは後悔ではなく、明るい約束として。なぜなら、可能性としてそこに存在することこそが、世界をより広く、豊かに、生きやすい場所にしてくれるからです。おそらく、幸福の一端とはまさにこのようなところから生まれるのでしょう。私たち人間には、想像できる世界を絶えず広げながら、ひとときであっても、まだ見ぬ世界や、永遠に訪れないかもしれない世界の中でさえ、身を置く力があるのです。

アレッサンドロ

@MaisonValentino
#ValentinoAntibiblioteca

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