ルイ・ヴィトン ジャパン株式会社のプレスリリース
エスパス ルイ·ヴィトン東京では、現代美術を代表するアーティスト、アンディ·ウォーホルの名作から知られざる作品までを集めた展覧会「Andy Warhol – Serial Portraits」を開催いたします。本展は、東京、ミュンヘン、ヴェネツィア、北京、ソウル、大阪のエスパス ルイ·ヴィトンにて、これまで未公開だったフォンダシオン ルイ·ヴィトンの所蔵コレクションを世界各地の観客に届けるという理念に根差した「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムの一環として実施されるものです。
アンディ·ウォーホルは多方面で活躍した、ポップアートを代表する巨匠の1人です。1949年に広告イラストレーターとしてキャリアをスタートしてから1987年に没するまで、ニューヨークを舞台に活動し、非常に多くの作品と功績を残しました。大量生産されたカラフルなシルクスクリーン作品で有名ですが、同時に映画監督、音楽プロデューサー、ショーデザイナー、テレビ司会者、セレブリティ雑誌の編集者など、さまざまな顔を持っていました。こうした多彩な活動の中で、ウォーホルは自身のイメージを自在に操り、いくつもの別の顔を作り上げることを楽しんでいました。これは生涯にわたって手掛けたシルクスクリーンの自画像や、演出された写真、いわゆる「ステージド·フォトグラフィ」の数々からも明らかです。
ウォーホルにとって人物を描くことは、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグのカーネギー工科大学(現カーネギー·メロン大学)在学当時から1987年にニューヨークでこの世を去るまで、一貫して芸術活動の中心を占めるテーマでした。周囲の人々をひたすらスケッチし、写真に収め、フィルムに映し、シルクスクリーン作品にしていきましたが、とりわけ映画スターや上流階級、アート界の著名人たちを好んで題材としました。こうして長年にわたり蓄積された数えきれないほどの人物像は、やがてその時代そのものを映し出す集合的なポートレートとなったのです。
ウォーホルは若い頃から有名人に関する新聞の切り抜きを集めており、メディアで大きな注目を集めるには自分を効果的に「演出」することが重要だと早くから認識していました。そしてウィッグにサングラスという出で立ちで謎めいた人物像を作り上げ、そのイメージを積極的にアピールすることで作品の売れ行きにつながるようにしたのです。ウォーホルは変装と自己演出の達人で、さまざまなポーズで撮った写真やセルフポートレートでは、実に多彩なキャラクターになりきっていました。ドラァグクイーンに扮した女装姿のポラロイド写真や、生涯にわたって手掛けた数々の「Self-Portraits」は、外見を自在に操る彼の手腕を物語っており、アイデンティティやイメージの操作とは何かという問いを私たちに投げかけています。
1963-64年に証明写真機で撮影された《Self-Portrait》から1981年の謎めく《The Shadow》まで、本展に集められた作品群からは、メディアにおけるウォーホルの人物像の変遷と、彼の芸術的実践における技法や様式の発展を見て取ることができます。冒頭を飾るのは、1950年代にボールペンで描かれた若い男性のドローイングです。ほとんど公開されることのないこれらのドローイングは、彼が初期に手掛けていた広告イラストに見られた、表現豊かで個性が色濃く出たスタイルをうかがい知ることが
できる貴重な作品です。この卓越した描画力はその後の創作でも折に触れて現れますが、シルクスクリーン作品においては影を潜めます。本展は、《Unidentified Male》の私的なスケッチから、亡くなる前年に「フライト·ウィッグ(恐怖のかつら)」の名で親しまれる乱れ髪のかつらを被って証明写真機で撮った写真、そして工業的な手法を制作に取入れる探究を続けた集大成とも言える1980年代の《Ten Portraits of Jews of the Twentieth Century》にいたるまで、一貫した探求の軌跡を辿ります。ウォーホルはサングラスという仮面の奥から世界を眼差し、シルクスクリーンや多様なカメラ技法を媒介としながら、類まれな適応力と革新的な発想力を発揮し続けたのです。
アーティストについて
アンディ·ウォーホル(本名アンドリュー·ウォーホラ)は1928年にアメリカ合衆国ペンシルベニア州ピッツバーグで、東欧系スラヴ民族、ルシン人の家庭に生まれました。第二次世界大戦終結後、冷戦がはじまった1940年代後半、カーネギー工科大学(現カーネギー·メロン大学)で応用美術を学んだウォーホルは、当時アメリカで広く信じられていた「成功とはニューヨークで職を得ること」という考えに触発され、1949年にニューヨークへ移り住みました。戦後の西洋社会で文化と経済の中心地として君臨していたこの街で、広告イラストレーターとしてのキャリアをスタートさせます。
ニューヨークのイーストヴィレッジに移り住んだ彼は、アンディ·ウォーホルと名前を変え、仕事も順調に舞い込むようになります。『VOGUE』や『ハーパーズ バザー』などのファッション誌から、レコードジャケット、靴の広告、デパートのウィンドウディスプレイまで、その仕事は多岐にわたりました。こうして忙しく多種多様な案件をこなすうちに、ウォーホルは広告というものがどう機能し、どんな視覚効果を与えるのかを身をもって理解していきます。そしてこの時培った感覚を、その後の作品制作や販売に活かしていったのです。1950年代末までに、ウォーホルはイラストレーターとしての地位を築き、充分な収入を得られるようになります。これにより、商業的な仕事と並行してアーティストとしての活動を進める余裕ができました。ニューヨークに来た当初から、彼はギャラリーでの展示や美術館への収蔵を目指していましたが、同性愛者に対して排他的で、抽象表現主義の大物たちが支配していた当時のニューヨーク美術界では、彼の作品は限られた層にしか評価されませんでした。より幅広い支持を得るには、それまでの極めて私的なドローイングでは通用しないと判断したウォーホルは、1962年からシルクスクリーン技法でキャンバス作品を手掛けるようになります。その結果、急速に支持を拡大していきました。
ウォーホルはアシスタントと共に、その後もシルクスクリーン技法を使い続けることで、作品を大量に制作できるようになりました。作品が売れたことで、ウォーホルは「アンディ·ウォーホル·エンタープライズ」を通じて映画制作から音楽プロデュース、テレビ番組、セレブリティ雑誌の発行まで幅広く事業を展開し、自身のスタジオ「ファクトリー」に押し寄せる若手アーティストたちも充分に支援できるようになりました。これは1987年に彼が死去するまで続きました。工業界から借用したシルクスクリーン技法は、当時のアメリカ社会で大量に生産され流通していた視覚イメージの美的感覚や反復性をそのまま再現する手法でもありました。1960年代になると、ウォーホルをはじめとするポップ·アーティストは、当時の消費社会に溢れていた商品や話題の有名人を本来の文脈から切り離して作品にしました。それまで商品や芸能ニュースだった対象を美術作品として見せることで、高尚な芸術と大衆文化、芸術と日常の区別をなくしてしまったのです。
ウォーホルは1987年、胆嚢手術後に亡くなるまで、写真から絵画、彫刻、メディア活動などさまざまな表現方法で、多彩な技法の可能性を追求し続けました。変幻自在なこのアーティストは、今日の私たちの作品との向き合い方や、芸術とそのシステムに対する捉え方を抜本的に変革したと言えるでしょう。彼が世界に刻んだ功績は、色褪せることがありません。
フォンダシオン ルイ·ヴィトンについて
フォンダシオン ルイ·ヴィトンは現代アートとアーティスト、そしてそれらのインスピレーションの源となった重要な20世紀作品に特化した芸術機関です。公益を担うフォンダシオンが所蔵するコレクションと主催する展覧会を通じ、幅広い多くの人々に興味を持っていただくことを目指しています。カナダ系アメリカ人の建築家フランク·ゲーリーが手掛けたこの壮大な建物は、既に21世紀を代表する建築物と捉えられており、芸術の発展に目を向けたフォンダシオンの独創的な取組みを体現しています。2014年10月の開館以来、1100万人を超える来館者をフランス、そして世界各地から迎えてきました。
フォンダシオン ルイ·ヴィトンは、本機関にて実施される企画のみならず、他の財団や美術館を含む、民間および公共の施設や機関との連携においても、国際的な取組みを積極的に展開してきました。とりわけモスクワのプーシキン美術館とサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館(2016年の「Icons of Modern Art: The Shchukin Collection」展、2021年の「The Morozov Collection」展)やニューヨーク近代美術館(「Being Modern: MoMA in Paris」展)、ロンドンのコートールド美術研究所(「The Courtauld Collection. A Vision for Impressionism」展)などが挙げられます。また、フォンダシオンは、東京、ミュンヘン、ヴェネツィア、北京、ソウル、大阪に設けられたエスパス ルイ·ヴィトンにて開催される所蔵コレクションの展示を目的とした「Hors-les-murs(壁を越えて)」プログラムのアーティスティック·ディレクションを担っています。これらのスペースで開催される展覧会は無料で公開され、関連するさまざまな文化的コミュニケーションを通じてその活動をご紹介しています。
ANDY WARHOL
SERIAL PORTRAITS – SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION
アンディ·ウォーホル「SERIAL PORTRAITS – SELECTED WORKS FROM THE COLLECTION」展
エスパス ルイ·ヴィトン東京
〒150-0001 東京都渋谷区神宮前5-7-5
ルイ·ヴィトン表参道ビル 7F
お問合せ先:
T 0120 00 1854
contact_jp@louisvuitton.com
会期:2025年10月2日(木) – 2026年2月15日(日)
開館時間:12:00-20:00
休館日はルイ·ヴィトン 表参道店に準じます。
入場無料
プレスお問合せ先:
ルイ·ヴィトン ジャパン(株) PRコミュニケーション
T 03 6701 5120
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