「2024年 シチズン・オブ・ザ・イヤー®」受賞者決定

シチズン時計株式会社のプレスリリース

 シチズン時計株式会社(本社:東京都西東京市、社長:佐藤 敏彦)は、本年1月6日に選考委員会を開き、「2024年 シチズン・オブ・ザ・イヤー®」受賞者を下記のとおり決定しました。

 この賞は、市民社会に感動を与えた良き市民を1年単位で選び顕彰するもので、当社が1990年から主催し、本年で35回目となります。

 各受賞者には、副賞として賞金100万円と時計が贈られます。

2024年 シチズン・オブ・ザ・イヤー® 受賞者

▽ 一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ 東京都杉並区

認知症になってからも希望と尊厳をもって暮らせる社会の実現を

掲げ、認知症の本人自身が主体的に活動する団体

▽ 小沢(おざわ)ちえ さん 50歳、ほの さん 21歳 愛知県名古屋市

不登校の娘と向き合った母と当事者だった娘。それぞれの経験を活かし、不登校に悩む親子の相談に応じる母娘

▽ 渡辺和代(わたなべ かずよ)さん 58歳 東京都中央区

ベトナムの小児がんの子どもたちのために、20年にわたり現地に赴き、医療と社会福祉の両面から支援を続ける

                                                                 〔以上、順不同〕

                  2024年 シチズン・オブ・ザ・イヤー® 表彰式

一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)

■行 為

 厚生労働省の推計によると、2025年に約471万人、2040年には65歳以上の3人に1人にあたる584万人が認知症になると見込まれている。しかし、認知症は高齢者だけのものではない。誰もがなり得る身近な生活障害でありながら、「何も分からなくなる」「何もできなくなる」という偏見や誤解が根強く残っている。

  こうした社会を変えようと、各地で発信を始めた本人たちが、連絡を取り合い、話し合いを積み重ねて、2014年に設立したのが「日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)」だ。認知症の本人が主体となり、仲間やケア関係者、自治体、企業など多くのパートナーとともに、認知症になってからも希望と尊厳をもって自分らしく暮らせる社会の実現に向けて全国各地で活動を続けている。

  立ち上げ時の共同代表の一人であり、現法人の代表理事である藤田和子さん(63歳)は、45歳の時に若年性アルツハイマー病と診断された。看護師としての経験から、自分の記憶の異常にいち早く気付き、受診したことで早期発見につながったものの、認知症に対する地域や専門職の人々の理解は乏しく、声をかけても避けられたり、じろじろ見られるなどの偏見により、一人の人格をもつ人として扱われない現実に深く傷ついたという。認知症になっても生活の工夫や周囲のサポートによって自分らしく暮らすことができる。そのためにも記憶の異変による受診をためらわず、認知症になったことを周囲に伝えられる社会の必要性を強く感じた。地元の鳥取で当事者として声を上げる活動を始め、同じ思いを胸に全国各地で活動する仲間たちとつながった。

  主な取り組みは、本人視点からの政策提言や、国や自治体から任命される「希望大使」として認知症への関心と理解を深めるための普及・啓発活動のほか、全国各地の会員が自治体や事業者団体などと協力し、講演会やメディア出演を通じて当事者としての声を発信している。また、診断直後の本人やその家族に先輩として自身の経験を共有し、生活の工夫や前向きに生きる姿を伝える「ピアサポート活動」や、本人同士が自らの体験をもとに、暮らしやすい地域について意見交換を行い、地域づくりにつなげる「本人ミーティング」に協力し、それぞれの地元でも実施している。さらに近年は、企業の製品・サービスの開発プロセスに参画する共創活動にも取り組んでいる。活動の目的を軸に、本人たちが自発的にやりたいことや必要なものを生み出し、地域の行政や仲間たちと協力しながらその街に合ったやり方で活動を進めている。

  そんなJDWGの大きな功績の一つが「認知症とともに生きる希望宣言」だ。この宣言は、認知症になっても希望を持って生きるための自発的な意思を示したもので、全国各地の本人会員が声を寄せ、話し合いを重ねて作り上げた。2018年に厚生労働省で記者会見を開いて発表したこの宣言は、2024年に施行された「共生社会の実現を推進するための認知症基本法」にも反映された。この法律は、基本的人権を理念の筆頭に掲げ、「共生」の視点を重視した内容となり、認知症であってもそうでなくても、尊厳をもって暮らせる社会の基盤が整えられつつある。

  当事者自らが声を上げ、前向きに生きる姿を示し続けてきたことで、社会全体の認知症観が少しずつ変わり始めている。どこで暮らしていても、誰もが安心して自分らしく暮らせる社会を目指し、JDWGはこれからも希望をつなぐ活動を広げていく。

■表彰理由

 何より当事者自ら発信し、主体的に行動している点に感動する。「認知症は恥ずかしくない、恐れる必要はない」というメッセージは、不安を感じている当事者や家族に大きな希望を与えている。そして認知症への偏見を無くし、社会を変えていこうという強い思いが、実際に認知症基本法などの法整備に結実している点も見逃せない。当事者にしかできない行為という点で、とても貴重で尊い活動だ。今後ますます、この活動の重要性が増していくだろう。

■受賞コメント

 認知症になってからも希望と尊厳をもって暮らせる社会をめざして、賛同する仲間たちとともに、活動を積み上げながら10年が過ぎました。ひと足先に認知症になった私たちだからこそ、社会のため、次に続く人たちのためにできることがあります。このたびの受賞にとても感謝し、新たに進む勇気が湧いてきました。年齢に関わらず、認知症になってからも、心豊かに自分の人生を生きる人が一人でも増え、よりよい社会をともに創っていこうという「人の輪」が広がるよう、これからも「希望のリレー」を広げる活動にチャレンジしていきます。

■連絡先

一般社団法人 日本認知症本人ワーキンググループ(JDWG)事務局

 ホームページ:http://www.jdwg.org/

小沢ちえさん、小沢ほのさん

■行 為

 不登校児だった娘のほのさんと、不登校の娘と向き合った母・小沢ちえさんは、それぞれの経験を生かし、不登校に悩む親子の気持ちを聞く母娘カウンセラーだ。母娘が二人三脚で対応し、相談者である親と子それぞれの気持ちに応えられるカウンセリングは全国でも珍しい。

 名古屋市在住のほのさんは、中学に入って間もなく、教師への不信から学校に行くのをやめた。ちえさんは当初、学校に行かないことが受け入れられず、ほのさんとけんかする日々。相談する所もなく、自分を責めたり、心配が絶えなかったちえさんは、娘のそばにいた方がいいのではと考え、当時勤務していた会社を1カ月間休職。この時、娘の気持ちが知りたいと、心理カウンセラーの資格を取得。のちにNLPマスタープラクティショナーやACE認定チャイルドマインダーの資格も取った。

 不登校になって半年経ったころ、もともと絵を描くのが好きだったほのさんは毎週、自分で探してきたデザイン専門学校の体験学習に通うようになった。その学校の教師に、ほのさんの画力をほめられたちえさんは「娘を信じよう」と決心。ほのさんは中学校を卒業後、この専門学校に進学し、授業を休むことなく卒業した。そして、今はイラストレーターとして活動している。

 ほのさんの不登校を経験したちえさんは、知人から親子で娘の不登校を相談されたのをきっかけに、ほのさんを巻き込み、不登校に悩む親子の相談を始める。相談者は口コミで広がり、2022年、公式LINE「じぶんらしさ商店」を開設。母娘カウンセリングをスタートさせた。「学校に行く、行かないは目的でなく、不登校の子もその親も『じぶんらしく生きる』ことが大事」という思いを込めて命名した「じぶんらしさ商店」の活動のメインは、相談者の自宅に赴き対面で行うカウンセリング。初回90分 1,000円で、2回目以降は1回60分9,000円、90分12,000円など。有料なのは、対価を払ってもらうことでカウンセリングがおざなりにならないようにするためだ。例えば、初回の90分コースでは、最初の45分は親と子に分けて話を聞き、残りの45分で親子一緒に話をする。子のカウンセリングでは、ほのさんは共通の話題を見つけたり、ゲームをやりながらなど、子が話しやすい環境を整えてから行う。そのため「親には言わないで」とほのさんには心を開いて自分の気持ちを伝える子が少なくない。親と子がそれぞれの思いを伝えあうことで、お互いの自分らしさを見つけることを目指す。また、講演会や市内で開催されるマルシェのひとり親向け無料相談会などを通して、不登校に悩む親子の相談に対応する。これまでの2年間で相談に訪れた親子は80組超。カウンセリング期間は様々だが、現在15~20組の相談を抱えている。地元・愛知を含めた三重、岐阜の東海3県からがほとんどだ。

 不登校になるのは友だちとの問題など理由は様々だ。文部科学省の2023年度調査では、全国の不登校児童・生徒は34万人を超え、過去最多を記録した。「何かと口を出し、子どもに選択させない親が多い」とちえさんは言う。そうなると子どもは委縮し、不登校から抜け出せない。自分もそうだったとちえさんは振り返る。子どもが自分で考え、選択し、「自分らしく生きること」こそが大事なのだ。ほのさんも、「相談を受けた子が自分で決断できるようになった時が一番うれしい」と言う。ちえさんには自分の経験をまとめた本を出版するという夢がある。自分の失敗を知ってもらうことが、いま不登校に悩む人たちの助けになるのではないか、と。その夢がいま動きつつある。

■表彰理由

 「不登校」は現代日本の抱える大きな問題だが、母娘で悩み相談に取り組んでいる例は珍しく、非常に興味深い。親と当事者だった子、それぞれの立場からアドバイスを貰えるのは、相談する側にとって大きな励みになるだろう。難しいカウンセラーの資格を取得するなど、この問題に真摯に向き合っていることを評価したい。「不登校でも明るい未来や無限の可能性がある」という言葉は、未来を担う世代への大きなエールである。

■受賞コメント

 「嘘でしょ!?」 受賞の知らせを聞いた時の、私たち親子の言葉でした。私と娘、それぞれの経験を悩んで困っている不登校の親子さんの力に少しでもなれれば…と始めたカウンセリングが、こんなに素晴らしい賞をいただけるなんて、言葉にできないくらい嬉しいです。年々増えている不登校。今後も1人でも多くの親子さんに【じぶんらしさ】を見つけてもらい、本当の親子関係を築き、一歩ずつ前に進むお手伝いしていこう!と、改めて娘と誓いました。

■連絡先

じぶんらしさ商店 ℡:050-3559-0247/E-mail:jibunrashisa.ch@gmail.com/

公式LINE:https://lin.ee/hrfJDKF

渡辺和代(わたなべ かずよ)さん

■行 為

 20年前のベトナムでは、小児がんは「治らない病気」とされ、多くの子どもたちが命を落としていた。こうした状況を改善し尊い命を救おうと、2005年からベトナム・フエ市の国立フエ中央病院を中心に、アジアで小児がん医療の支援を無償で続けているのが、渡辺和代さんである。

 渡辺さんとベトナムとの最初の出会いは、中学から高校までアメリカで暮らしていた時に見た一本の映画だった。ベトナム戦争の孤児をアメリカ兵が助けるという実話で、大きな感動を受けた。日本の大学を卒業し、外資系金融機関に就職したが、もっと人と関わる活動をしたいと4年余りで退社。1995年からベトナム・フエ市でストリートチルドレンの救済活動を行う日本の団体(「ベトナムの『子どもの家』を支える会」)のボランティアとして約1年間、現地で活動した。その中で、フエ中央病院と関りができる。その後父親の看病のため帰国し、病院に通う中で、国内の小児がん支援団体の活動を手伝うようになり、日本とアジア途上国との医療の格差を感じた渡辺さんは、ベトナムの子どもたちを支援したいと強く感じ、自らが主体となって支援しようと決心する。医療従事者でない自分に必要なものは何かと考えて、2000年4月から4年間、日本の大学院で学び、社会福祉士の資格を取得。2005年にNPO法人「アジア・チャイルドケア・リーグ」を立ち上げ、ベトナムに赴きフエ中央病院で活動を開始した。

 医療環境の不備、診断・治療の遅れ、経済的理由など、適切な治療が受けられない要因は数多くあり、医療面、社会福祉面、双方の活動を行っている。医療面では、医療人財の育成と療養環境の向上に主軸を置いている。「小児がんは治る病気」と理解してもらうため、学会とフエの医療従事者との橋渡しや、研修のコーディネート、医薬品の供給、院内の食事提供や栄養管理、医療機器の整備、ワークショップなどを行っている。5年前には日本からの寄付で移植用の無菌室ができ、医療のレベルアップにも貢献した。

 社会福祉面としては、患者、家族に対する経済的サポート、病院内で「家族の会」を発足し、治療による副作用や感染症リスクを家族や患者に伝えたり、時には患者の家庭を訪問し、患者と家族のことを理解し、励ましながら支援するといったことを行う。また療養生活が少しでも楽しくなるイベントも開催する。残念ながら命を落した子どもの遺族へのグリーフケアにも取り組み、数年に一度慰霊祭も行うなど、きめ細かい活動を行っている。こうした多岐にわたる支援を、日本や海外の医療エキスパートと連携して行っている。渡辺さんは自分を「橋渡し役」と話すが、自らも病院に泊まり込み、子どもたちと過ごす。こうした活動が実り、当初1割程度だった急性リンパ性白血病の「5年生存率」は、現在約7割まで向上した。現地の子どもたちや家族、医療スタッフからは「日本のお母さん」と呼ばれ、2024年にはフエの名誉市民称号を授与された。渡辺さんは「治療が終わり、成長した子どもたちとの再会は至福の時」と語る。

 現在、医療エキスパートのネットワークは、日本、アメリカをはじめ、シンガポール、オーストラリア、イタリア、ドイツ、インドなど10カ国以上に広がり、支援の場もカンボジア、ラオスなど周辺の国々にも広がっている。

■表彰理由

 かつて1割ほどだった生存率を20年にわたる支援で7割にまで高めたという結果に結びついていることにまず感動する。どれほど多くの子どもたちの命が救われてきたであろう。そして、渡辺さんの「現場主義」と、そこに飛び込んでいく「行動力」に感服する。これがなければ、支援は成立しなかった。現場を見ることがいかに重要か、改めて認識させられた。現地に行った際は病院に寝泊まりして子どもたちと過ごし、自らの生計は大学の講師で立てるなど、慈愛と無私の心も素晴らしい。

■受賞コメント

 小児がん支援をスタートして20年という節目に栄誉ある賞をいただけますこと、とても光栄に思います。ここに至るまでの道のりでは、たくさんの小児がんの子どもたち、ご家族、そしてご支援・ご協力くださった方々との出逢いがありました。その方々の存在なくして私の“今”はありません。関わってくださった全ての皆さまに心から感謝を申し上げるとともに、これからもがんの子どもたちが最適な治療・ケアを受け、病気を克服して、笑顔に包まれながら成長していけるよう努めてまいります。

■連絡先

NPO法人「アジア・チャイルドケア・リーグ」(東京都中央区築地1-4-3-808)

ホームページ:http://www.accl.jp/gr.htm#top   / ℡:03-6264-7892

【 選考方法について 】

 2024年1月から12月までに発行された日刊紙(朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、日本経済新聞、産経新聞の東京および大阪本社版、北海道新聞、河北新報、東京新聞、中日新聞、西日本新聞)の記事の中から、シチズン・オブ・ザ・イヤー事務局が候補として18人(グループ)をノミネート。2025年1月6日に開かれた選考委員会で候補者を対象に審議し、決定しました。

〔選考委員会〕

委 員 長:武内陶子 (フリーアナウンサー、元NHKアナウンサー)

委 員:延与光貞 (朝日新聞社 社会部長)

          尾崎 実 (日本経済新聞社 社会部長)

          酒井 潤 (産経新聞社 社会部長)

          佐藤敬一 (毎日新聞社 社会部長)

          サヘル・ローズ (俳優、人権活動家)

          竹原 興 (読売新聞社 社会部長)

          益子直美 (スポーツコメンテーター) ※敬称略・五十音順

【 シチズン・オブ・ザ・イヤー® について 】

 日本人および日本に在住する外国人の中から、市民社会に感動を与えた、あるいは市民社会の発展や幸せ・魅力作りに貢献した市民(個人もしくは団体)を1年単位で選び、顕彰する制度。

 市民主役の時代といわれる中にあって、広い視野から市民を顕彰する賞がほとんど見られなかったことから、社名に“CITIZEN(市民)”を掲げるシチズン時計が1990年に創設したものです。

 略称「シチズン賞」。

「シチズン・オブ・ザ・イヤー®」ウェブサイト:https://www.citizen.co.jp/coy/index.html

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